北前亭七代目 創作珍味本舗 福利物産株式会社

歴史

古くは江戸時代中期。北前船の帰港地として大いに栄えた商都・尾道。
そこで綿問屋を営んでいた「福光ヤ」が、現在の福利物産の前身となりました。それからおよそ200年以上。
私たちはその時々に合わせて自らのスタイルを変えながら、現在に至る歴史を紡いできているのです。
そんな当社の略歴をご紹介いたします。

江戸時代中期

商取り引きを伝える古文書に、綿問屋「福光ヤ」の記述あり。詳しい資料が残っていないため創業の時期は不明だが
少なくとも200年以上前から、福利物産の前身は存在していたらしい。
北前船の寄港をキッカケとして、この時期に綿問屋から海産物問屋に。
当時は近辺にも、非常に多くの同業者が存在していた。尾道商人のしたたかさが偲ばれる。

昭和10~20年頃

昭和10年前半の福利商店の軒先。この軒先で北海産物などを並べて、商いをしていました。
平成20年にオープンした直営店「北前亭」は当時の建物を模して建設されたもの。「商品さえあれば売れた」時代。
現社長の祖父も積極的に北海道に足を運び、当時、「尾道の福利物産」といえば知らない人はいないほど
地元では影響力がありました。
毎年1月5日に住吉神社にて、尾道浜問屋恒例の初市が開かれます。
それに合わせて、商品が出荷され、当時は「初荷」というのぼり旗を立てて出荷していました。

昭和30年代 初頭

昭和30年後半に問屋業から製造業へ大きく舵をきります。
海産物問屋からメーカーへと事業を移行し仕入れのノウハウをいかした高品質の商品づくりで
確固とした地位を手に入れ、新浜工場はその中心的な役割を果たしました。
その後、瀬戸内海の排水規制に対応することが難しくなり、東尾道工業団地の造成に合わせて移転しました。

昭和50年代 初頭

昭和50年、東尾道に工業団地の造成に伴い、広島・埼玉県大宮(現さいたま市)などにあった工場を集約して
2300平米の旧工場から16000平米の新工場に移転。
この移転費用のために、会社の所有の土地やほとんど預貯金を使い、まさに裸一貫で新工場に移転して来ました。
当時、開発したきざみ昆布をちりめんに混ぜた新商品「味付ちりめん」が全国的に大ヒット。
味付ちりめんの先駆者として強固な事業基盤を確立します。その後、開発型メーカーとして現在に至ります。

平成20年代 初頭

長い歴史と伝統を有しつつ、味付ちりめんのヒットで通信販売に乗り出して
ある程度の地位を確立していたものの、代表的な直営店を持っていないことが問題でした。
様々なご縁をいただき、平成20年3月当初発祥の地に、福利物産における初の直営店「北前亭」を
オープンすることができました。

現在、そしてこの先へ

常に変化を志向してきた福利物産。今後の展開も現状からは予測不能。
極端な話、例えばお菓子メーカーになっていても不思議はない。
守ることより創ること。将来を創るのも「これから」なのです。